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栗原恵の病気は脳血栓!症状や復帰に至る現在までを時系列でまとめました

 

2020年1月19日に放送されたジャンクスポーツで『脳血栓』だったことを栗原恵さんが告白しました。

 

今回の記事では病気の発症から引退、現在までの様子を時系列でまとめてみました。

 

バレーボール日本代表栗原恵さん。

プリンセスメグと呼ばれ国民的スターとなった彼女ですが、

引退の裏には壮絶な闘病生活があったようです。

 

 目次

 

栗原恵さんの脳血栓発症~現在までの流れ

 

栗原恵さんの病気が発症してから現在までの流れを表にしました。

 

年次 出来事
2016年9月下旬 病気が発覚し入院
2016年10月 2016-2017シーズン開幕
2016年12月中旬 入院とリハビリを継続
2016年年末 バレーに復帰
2017年1月 解雇してほしいと懇願
2018年2月 日立リヴァーレを退団、JTマーヴェラスに移籍
2018年6月 引退を決意
2019年6月4日 バレーを引退
以降~現在まで LDH所属キャスターとして活動

 

要点を抑えて解説していきます。

 

栗原恵の病気(脳血栓)が発覚し入院

 

2016年9月下旬に栗原恵さんの病気が発覚しました。

2016-2017開幕シリーズ直前の出来事になります。

 

異変が生じたのは、開幕まで1カ月に迫った9月の終わりごろだ。
それまで経験したことのない頭痛や倦怠感に見舞われ、ひどい時は横になっても寝ることすらできなかった。

 

急に頭痛や体調不良になったことが発覚のきっかけのようです。

 

このまま開幕を迎えるまでに痛みも消えるだろう。そう思っていた矢先、体調不良を心配したトレーナーに付き添われ病院へ向かうことに。「2時間だけ抜けさせて下さい」と体育館を後にした栗原だが、直後に2週間の入院を余儀なくされ、再び体育館に戻ったのは3カ月が過ぎてからだった。

 

この時に脳血栓だと判明しました。

病院に行きそのまま入院という事なので、病状の重さが伺えます。

 

※脳血栓とは

血管に血の塊が詰まって、脳に十分な酸素や栄養が送られなくなり、脳にダメージを受ける病気です。

症状や程度はダメージを受けた脳の部位によって様々なようです。

 

 

また自身のブログに、母親と一緒に取った写真とコメントを残していました。

 

かけがえのない存在

「かけがえのない存在」とは
こういう事を言うんだなーと


改めて感じる今日この頃…

 

病気や今までを支えてくれた母に感謝の気持ちが込み上げてきたのではないかと思います 

病気を乗り越えられたのも、家族の支えがあったからこそかもしれません。

 

 

栗原恵が出場予定のバレーボール 2016-2017シーズン開幕

 

2016年10月に『2016-2017シーズン開幕』

栗原恵選手は入院している為、前半は欠場となっています。

 

後半は復帰し、7試合に出場するも結果は3位となりました。

 

このシーズンでは優勝を目標にして頑張っていたため、本人のショックも計り知れないと思います。

 

『解雇して下さい』何度も言った

後半からシーズンに復帰したものの、約2か月のブランクがあり、思うように体が動かなかったようです。

 

入院&リハビリの間、試合どころか練習も出れない状態が続き精神的に追い詰められていたようです。

 

『解雇してください』何度も監督に言ったが、『動けるようになるまでに準備して待っていてくれればいい。』

と監督やチームメイトに声を掛けられ引き止められました。

 

チームメイトや監督の優しさが際立ちますね。

今までの栗原選手の行いがあってこその言葉だと思います。

 

栗原恵が脳血栓を克服しバレーに復帰

 

先ほどと少し重複しますが、2017年1月に脳血栓を克服し、バレーボール選手として復帰しました。

 

2016-2017シーズン後半です。

 

この後は、少しづつ体の感覚を戻し引退までの間は病気も再発することなく活躍されています。

 

以前にもケガで何度か活動休止していた恵さんですが、今回は全く体を動かせない状態が続いたため、リハビリに相当苦労したようです。

 

 

栗原恵日立リヴァーレを退団しJTマーヴェラスに移籍

 

2018年2月に栗原恵選手は日立リヴァーレを退団しJTマーヴェラスに移籍しました。

 

実はこの移籍の裏側には引退の影があったようです。

元々、日立と契約が切れる2018年2月に引退すると決意していたようですが、JTマーヴェラスの吉原智子監督から声をかけられ、バレーを続ける事を決意しました。

 

若い時代をずっと一緒に過ごして、18歳という何も分からない状態で代表に入った時、トップでやっていた方に10年以上経った今”また一緒にやろうよ”と声をかけてもらうのは特別です。
吉原監督以外の方に声を掛けて頂いても、心は揺れなかっただろうなと思います。
そのくらい、監督の存在は大きかったです。

 

栗原恵さんが長く現役選手として活動していた裏側には、色々な人の支えや思いがあったようです。

 

栗原恵がバレーボール引退を決意

 

2018年6月、栗原恵さんはバレーボール選手を引退し、一線から退きました。

 

JTマーヴェラスに移籍後1年4ヵ月の引退で、引退会見では多くのメディアが参加し報道されました。

プリンセスメグと呼ばれ、国民に愛された栗原恵さんのプレー姿が見られなくなるのは本当に残念だと感じたのを覚えています。

 

引退を決断したのは1年前といい、「昨年のちょうど今頃、JTの入団を決めたんですけど、その前に所属していた日立リヴァーレを退団した際に、もうやり残したことはないかなという想いで、自分の中では引退を覚悟したうえでのこの1シーズンのチャレンジだったので、迷いはまったくなく、とにかくこの1年やりきろうという想いでやってきました」と胸中を明かした。

 

引退するタイミングはもう決めていたようで、最後の期間、全力でプレーして辞めようと考えていたのではないかと思います。

 

栗原恵の引退後はLDHの解説キャスターへ

現在栗原恵さんはLDHに所属し、のバレーボール解説キャスターを中心に活動しています。

LDHといえば、EXILEなども所属する大手事務所ですね

 

引退後は指導者としてではなく、解説者としてバレーボールに携わっていくようです。

 

春高バレーの解説を始め、大きなバレーボールの大会の解説をしています。

 

またメグカナという愛称で有名だった、大山加奈さんと並んで解説していた場面もありました。

 

メグカナ世代のファンからしたら最高の場面ですね

 

まとめ

 

今回は、栗原恵さんの病気『脳血栓』発症から現在までの流れをまとめました。

 

アスリートとして大成功を収めていた栗原さんの背景には様々な壁があったようです

 

今後もキャスターとして活躍されるので、メディアに出る機会はどんどん増えるのではないかと思います。

 

いつまでも元気な姿をみていたいですね

 

以上、最後まで閲覧ありがとうございました。